ホワイトデーはなぜ3倍返しなのか?
今日はホワイトデーである。ホワイトデーは一般的にバレンタインデーにもらったものよりも多くのものを贈ることが期待されてる。この「3倍返し」と呼ばれる習慣は、なぜ生まれるのだろうか? 今なお残る男女差別なのか? そうではない。ホワイトデーが「3倍返し」なのは、バレンタインデーの「お返し」だからである。
この記事では、贈与の性質から考えて、なぜホワイトデーは3倍返しとされるのかを探求していく。
贈与の目的
大前提としてまずは贈与の目的を整理していく。 贈与の目的とは贈与された物自体にはない。例えばバレンタインデーであれば、男性はチョコを手に入れることが主目的ではない。それならば自分で買えばいい。あくまでも誰かにプレゼントしてもらうという形が大切なのだ。
これは贈与の中身に注目すればわかることだ。極端な例ではあるが、バレンタインデーに現金を渡す人はいないだろう。そんなやつがいたら速攻で振られる。だが、しかしもし有用な物を手に入れることが主目的なのであれば、これはおかしなことだ。現代社会において現金ほど有用なものはないのだから。
このことからわかるとおり、贈与の目的は物を手に入れることにはない。
では何が目的なのか。結論から言うと、贈与の目的は人間関係を維持することにある。
贈与が生み出す負債
ではなぜ贈与は人間関係を維持する効果を持つのか。それは贈与が負債を生み出すからである。 バレンタインデーではチョコを受け取ってから、ホワイトデーに返すまでの間、チョコを貰った側はずっともらったチョコの分の負債を持ち続けるのだ。これは物質的な贈与に限らず発生する。職場などで新人のとき、先輩に助けられてばかりで申し訳なく思ったなんて体験は多くの人がしたことがあるであろう。そういったもらってばかりで申し訳ない、という感覚がここでいう負債である。
この感覚があると、多くの人はそれを返さなくてはならないと思う。そして、そのためにはそれを完済し切るまで相手と縁を切ることができなくなるのだ。これが贈与が人間関係を維持する効果を持つ理由である。
なぜホワイトデーは3倍返しなのか?
さて、ここまでの話で本題を説明する準備が整った。本題に戻ろう。
なぜホワイトデーは3倍返しなのか。それはホワイトデーのあとも関係を維持し続けるためだ。
もしホワイトデーにバレンタインデーと等価のものを返してしまったら、それで負債はチャラになってしまい、贈与で作られた関係は終わってしまう。しかし、ホワイトデーに3倍返しをすれば、余計な2倍の分だけ今度は相手に負債を追わせることができるのだ。そうすると相手はその負債を返すまで関係を維持しなくてはならなくなる。さらにいうと相手がその負債の返却ももらった分より多く返したら、あなたはそれを返すためにさらに関係を維持する必要が生じるのだ。
このようにして、人間関係を維持し続けるために贈与のお返しはもらった分より少しだけ多くのものを返す。これがホワイトデーが3倍返しである理由である。
ケース別、ホワイトデーのお返し方法
では最後に、ここまでを踏まえて、結局ホワイトデーは何倍返しをすればいいかをケース別に見ていこう。
もらった相手との関係の継続を強く臨んでいる場合
該当するのは恋人や片思いの相手などだ。このケースの場合はまず絶対に等価では返してはいけない。できるだけ多く上乗せして返すのがいい。だがここで注意すべきこととして、あまりに多くの物を返しすぎると、それによって相手が得る負債を返しきれないと感じて、受け取ることを拒否されてしまう可能性がある。チロルチョコを渡した相手から宝石を渡されても困るだろう。受け取りを拒否されないギリギリのラインを狙う必要がある。
もらった相手との関係をほどほどに続けたい場合
これは職場の人や友人など、これからもお世話になるだろうなと言う人に対してだ。この場合は1.2倍〜1.5倍程度のちょっと上乗せするくらいにするといいだろう。有形無形に関わらずもらった分よりちょっとずつ多いお返しをこれからもお互い様で渡し合っていけば良い。
相手との関係を切りたい場合
この場合はシンプルだ。もらったものと等価のものを贈れば良い。贈与と負債の理論に基づくと返さないのではなく、しっかりと等価のものを返すことが必要だ。また、はっきりと拒絶したい場合は、現金を送ると等価であることがわかりやすく良いだろう。今更言っても遅いが、この場合一番いいのはそもそも贈与を受け取ることを拒絶することだ。そうすれば負債を負うこともない。
参考文献
贈与論
世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学
https://www.amazon.co.jp/世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学-NewsPicksパブリッシング-近内悠太/dp/4910063056
<世界史>の哲学 東洋編